理解できないと理解すること

宇多田ヒカルさんが、母である藤圭子さんの逝去から10年目の命日に、twitterにこのような想いを投稿されました。
僕のタイムラインにもこのツイートが流れてきて、恥ずかしながらこれを読むまで藤圭子さんが亡くなっていること、どのような最期だったかも知りませんでした。

以前、このブログで公表させていただいたのですが、僕も8年前に自死によって弟を亡くしています。
答えのない問いがずっと頭の中を支配し、何もかも真っ暗だった最初の5~6年を経て、家族をはじめ、身近な方々のサポートや優しさによって、ここ数年は少しずつ前に進めているような気がします。
気持ちの整理がついたり、何か答えが出たわけではないのですが。

今回の宇多田さんの投稿は、今まで僕が思い悩んできたことと似たような感情に、おそらく僕よりも正面から向き合い続けた宇多田さんが出されたひとつの答えなのではないかと思います。

すごく腑に落ちたし、救われる言葉でした。

こうなってしまったことを、こうなってしまうまでの自分の行動を肯定することはできない。
けど、当時の弟の心情を理解しようとすることには無理があるんだと知ることで、少し気持ちが楽になったし、弟との関係を生前のままで止めてしまっているのは自分自身なんだと感じました。
まだまだ支え合えるし、喧嘩もできるのかもしれない。

このブログを読んで下さる方の中には、あまり同じ経験をされた方は多くないと思いますが、自死以外で亡くなった大切な方との向き合い方としても参考になるのではないかと思い、紹介させていただきました。