Contrast

10/25(月)~10/26(火)
お休みをいただき、滞在時間24時間の弾丸帰省をしました。

目的は亡き弟の七回忌法要。
あれから丸六年、昨年書いたブログからもう一年が経ったんですね。

この一年も心境は何も変わっていなくて、昔の自分を取り戻せている感覚は一切ありません。
むしろ、そうなれない自分を受け入れ始めた、諦め始めた一年だったのかなと思います。
ふとそういう自分の内面に気づいてしまう瞬間が結構キツかったなという印象です。
ただ、この一年に関しては自分よりも他者のことを優先する弟の生き方を少しは自分の中に取り込めたのではないかと感じる出来事がいくつかありました。
「あいつだったらどうするかな」という視点を持つことで、僕の中で彼が生き続けてくれるような気がしているので、少しでも彼の生き方を自分の中に宿すことができればいいかなと思っています。

さて、コロナ禍で全く帰省できていなかったので、今回が二年ぶりの帰省でした。
二年あれば街も人もそれなりに変わります。
近所にあった家や建物が無くなったり、新しいものが建っていたり、家族はそれぞれ歳を重ねて容姿にも大なり小なり老化が表れるのは当然のことです。

しかし、もう90歳を目前に控えた祖母たちの、この段階での二年というのはあまりに重く、その変化には正直胸が締め付けられるような想いでした。
18歳で家を出た自分にとって、ばあちゃんたちのイメージは幼い頃に台所に立っていた姿のまま。
当然今までも同じように歳を重ねてきたはずなのですが、そこには半年ごと、一年ごとに顔を合わせ、無意識的にその変化を受け入れてきたグラデーションのようなものがありました。
しかし、今回は二年前に会ったときからのコントラストが明確で、こんなことを感じたり、言ったりすべきではないのかもしれないけど、おそらくあと十年以内に訪れるであろう最期に対する意識がよりリアルに持ててしまって、前述の通り心がキツかったです。

このような経験をして、これからの時間はこれまでとは全く別物の重みのある時間なんだと感じました。
残された時間には限りがあって、それは確実に短くなってきています。
しかし、突然訪れた弟との別れとは違って、後悔を残さないために与えられた時間はまだあるのです。
会ったり、話したりすることも大切かもしれないし、ばあちゃんたちに想いを馳せる時間が大切になってくるかもしれないし、具体的なことはまだわからないけど、両親にも状況を聞きながら、そのときできること、必要でありそうなことを自分なりに考えて行動していきたいと感じました。
滞在時間24時間のキツめのスケジュールの中で、このような経験をして、心身ともにかなり疲労しましたが、今このタイミングで帰っておいて本当に良かったと思っています。

最近は強く何かを感じたときしかブログを書かないので、当然といえば当然ですが、スーパー病みブロガーみたいになってしまっているので、これからは日常のちょっと楽しかった出来事も載せていこうと反省。笑

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。