久々のブログ更新になります。
今日の投稿は僕がこれまで公にしてこなかったことをお話しします。
自分から話すようなことでもありませんし、誰かに良い影響を与えるような話でもないので、これまで近しい人にもあまり話していないことです。
ただ、たくさんの方に応援していただき、支えていただいて、今の自分があると思っているし、そういう皆さんと「自分のストーリーを共有したい」と言っている中で、このバックボーンを語らずに発信をすることは偽りなのではないかと思うようになり、今回のブログに至ります。
これから今の想いを正直に綴ります。
もしかすると一般感覚から逸脱する部分があるかもしれませんし、僕の言葉を不快に感じる方がいらっしゃるかもしれません。
予めご理解下さい。
5年前の今日、10/26。
弟が亡くなりました。
車で海に突っ込んだところを近くにいた方が目撃し、通報して下さいましたが、海から引き揚げられたときには既に亡くなっていたそうです。
遺書のようなものは何も残さずに逝ってしまったので、我々家族にも真相はわかりませんが、自殺だと思います。
元々繊細なヤツで、亡くなる前の数年は精神的にすごく不安定で、最後は定職にも就いていないし、僕の結婚式にも来れないような状況だったので。
苦しんでいたであろう彼に対して何もしてやれなかった、いや、何もしなかった自分に対する憤り。
家族を悲しみの底に突き落とすようなことをした彼に対する憤り。
この不条理に対する憤り。
彼に対して、家族に対して、力になれなかった申し訳ない想い。
地元で暮らす彼がいなくなった今、これから年老いていく両親のことをどうすればいいんだという不安。
彼を失った悲しみと共に、様々な感情が一気に押し寄せて、頭がおかしくなりそうでした。
これまでの5年間について
あれから5年。
長かった。本当に長かった。という感覚。
やはりあの出来事は自分にとってあまりにも大きなことで、上手く表現できませんが、あれ以降は自分の人生が色を失って灰色の世界を生きているような感覚があります。
嬉しい出来事があっても以前ほど大きく感情が動かなくなり、逆にちょっとした失敗や悲しい出来事を大きく引きずってしまったり、自己否定感を感じる機会が増えました。
この経験をしないとなかなか気付けないと思いますが、報道やドラマ・映画など、日常の中で「自殺」というワードに触れる機会は意外と多く、自死遺族はそのたびに心をえぐられるような想いをしています。
「兄弟はいるの?」という何気ない会話も同様に。
(だから気を遣ってほしいとか、そういうことじゃないです。本当に。)
仕事柄こんなこと言うべきではないかもしれませんが、そのような精神状態の中では夢や希望も持てなくなりました。
もちろん、スポーツを通してより良い社会を作っていきたいという想いに変わりはありませんが、内から湧き出てくる強い情熱のようなものをこの5年間一度も感じていません。
今まで大好きだった将来の話、夢や目標を語ること、聞かれることが苦しくて仕方なくなりました。
こんなメンタリティの人間がやるべき仕事ではないと思うこともありますが、家族、仲間、お客様、応援して下さる皆さんに対する責任があるということを自分への口実にして続けさせてもらっています。
そして、何だかんだでやっぱりボールを蹴ることは好きみたいで、この時間が結構自分の支えだったりします。
また、やはり家族の存在は本当に大きかったです。
妻の支えもありがたいですし、弟が亡くなる一ヶ月前に長男が生まれていて、もしそれがなかったら僕はどうなっていたんだろうと考えることがあります。
もちろん、後から生まれてきた次男も含めて、家族のために何とかやっていかなければという気持ちが自分を支えてくれています。
時が流れ、弟のことを考えない時間は自然と増えてきているとは思いますが、少しも前を向けているという感覚はない。
何とかごまかしながらやってきたというのが5年経った今の現状です。
これからのこと
元の自分を取り戻す自信はありませんし、何をやっていくべきなのかも正直全くわかりません。
しかし、5年というひとつの節目をキッカケに何か少しでも変わっていけたらと思って、今その手始めとしてこのブログを書いています。
それが正解なのかもわからないんだけど。。
この5年間は自分のどこかに弟の存在を残したいなと思ってきました。
ずっと好きでつけていた背番号19を29に変更したのは、28歳で亡くなった弟の29歳以降の人生を自分が背負って生きていきたいと思ったからです。
彼と向き合えなかった後悔だけは忘れないでおこうと思っています。
弟は全く迷いなく、自分のことより他者のことを優先させられるような優しさを持った人間でした。
それが全て良かったわけではないと思いますが、僕は彼のそういうところが好きでした。
そういう部分を少しでも自分の中に取り込もうと意識して生活することで、彼の存在を感じられるんじゃないかと思ってやっていますが、やっぱりなかなか真似できるものじゃないですね。
また、こういう経験をしてしまった以上、こんな悲しい想いをする人がこれから少しでも減ってくれるといいなという気持ちはあるし、救える命があるなら救いたいので、自殺防止活動を行っている団体に寄付をしてみようかなとかも考えてはみましたが、どうしても弟の最期の選択を否定する気にはなれなくて。。
自殺を肯定するつもりはないし、家族をこんなに悲しませやがってという想いもあるけど、あんなに優しかった弟がそういうこと何も考えずに選択するわけないと思うんです。
ずっと苦しかったけど、みんなに迷惑かけたくなくて、悲しい想いさせたくなくて、何年も耐えて耐えて生きてくれてたんじゃないかって考えちゃうんです。
彼の性格を考えると、どうしてもそっちの方が自然な気がして。
だから、自殺したい人を止めることが正義だと確信を持てないのです。
こうやってブログを書いてみると、これからどうやって前を向いていくのか自分の中で全く明確になっていないことに改めて気付かされます。
「乗り越える」という表現が正しいのかわからないけど、弟のためにも少しでも早く自分の中で彼の死を消化して、しっかり人生をリスタートさせたいのですが、、
ひとつだけ言えることは、大切な人との別れなんて、いつどんな形で訪れるかわからないということを痛感したからこそ、普段から身近な存在に対して後悔を残さない関わりをしていきたいということ。
同時にそれは僕から皆さんに伝えたいメッセージでもあります。
簡単なことではありませんが、少しでもこのような悲しいお別れが減ることを心から願っています。
全くまとまりのない文章になってしまったと思いますが、読んでいただき、ありがとうございました。
また、この5年間、身近な方にはもしかしたら僕の突然の気落ちなどでご迷惑をおかけした方がいらっしゃるかもしれません。
この場を借りてお詫び申し上げます。