チームワークとは

30年もチームスポーツに関わってきているのに「チーム」というものはなかなか思い通りにはなってくれないものです。

一人では達成できないこともみんなと一緒ならできる。
1+1が2以上になる。

チームの良さとしてよく語られる言葉ですが、実際にそういう経験をしたこともありますし、「そんなもん綺麗事だ!」と思わされることもしばしば。
上手くいっているときは個々の力量の総和を超えるような力を発揮することもありますが、逆に上手くいっていないときはそれが半減することもあるのがチームです。

素晴らしいリーダーはチーム力を最大化させることを再現性高くやれるのかもしれませんが、自分のような者にとってはこれほどアンコントローラブルなものはありません。

そもそも、チームワークって何なんだと考えたとき、想起されるイメージは「連携」、「協働・協調」、「支え合い・助け合い」といったところだと思います。
それらをどのように高めるか?それらの存在する組織作りってどういうこと?
というのが今まで考えてきたことであり、答えの出ない問いでありましたが、最近は逆にチームワークが上手くいっていないときってどういう状態だろう?というところから考えるようになりました。

自分の中で、その答えは「誰かが足を引っ張っているとき」でした。
これにはスポーツや仕事そのもののパフォーマンスレベルにおいて、そのチームの基準を満たしていない状態も含まれますが、それ以上にチームに対する誠実さを欠いた存在がいると、チーム作りが一気に難しいものになるなと思っています。

チームが求める基準までパフォーマンスを引き上げること。
チームが求める行動規範に合わせること。

当たり前のようなことですが、これらはその基準を明文化することができないため、感覚を揃えるのが難しいところです。
この感覚が上手く揃って、みんながその基準を満たしている、または満たそうという姿勢が見える状態が良い状態なのではないかと思います。

先日、ヴェルデラッソ松阪ランニングクラブのメンバーで「第57回 市民駅伝飯南大会」に出場しました。

僕はこの駅伝で最終区の5区を走り、自分自身でも全く想定していなかったタイムを出すことができました。
良い記録を出すために練習してきたつもりですが、練習での最高タイム15:43を大幅に縮める14:27でのフィニッシュは完全に想像以上の結果です。

その要因は何だと考えたときに、自分の前の区間である4区の方々の懸命な姿を見たからだと思いました。
「最終区だから自分の走りが順位に影響を与えることは少なそうだな」と思っている自分もいましたが、彼らの走りを見たら、そういう問題じゃないなと感じました。
僕に襷を繋いでくれた、同じチームの4区の方はお世辞にも速いランナーとは言えません。
しかし、今大会に向けて事前に練習してきたのを知っていたし、その成果が見える、以前よりも軽快な足取りで懸命に中継所に向かってくる姿を見て、「これだけ頑張ってくれた彼のためにも、1秒でも早く襷をゴールに届けないと。」という覚悟が決まりました。

彼から襷と共に強い想いを受け取った僕は、自分でも信じられないような走りで、結果的に順位を3つ上げてフィニッシュ。
ゴールの後は道路に倒れこんでしまうほどで、限界を突破した走りだったと思います。

これがまさにチームワークなのではないでしょうか。
個人がチームに対して責任を果たそうとすること、自身の最大パフォーマンスを発揮しようとする姿勢。
たとえそのパフォーマンスがチームの基準に達していなかったとしても、その姿勢は必ず周りに伝わるし、人の心を動かします。

実際に僕は彼の走りに心を動かされ、これまで超えられなかった自分の限界点を突破するような走りができました。


より良いチームを作るため、チームワークを生み出すために

コミュニケーションをたくさんとろう。
一緒にいる時間を長くしよう。
明るい雰囲気を作ろう。

など、様々なことを考えたり、行動したりしてきましたが、実はそういうことじゃなかったのかも。(これらが無駄なことだと言ってるわけじゃないです。)

個人の成長こそチームワークの源泉なのではないかと感じる今日この頃です。