正解など存在しない

最近、フットサルをプレーする中で気付いたこと、反省したことがあります。

それは自分の価値観を勝手に「正解」として扱ってしまっていること。

自分が描いていたプレーのイメージがあって、味方がその邪魔をするような動きをしたときに、とてつもなくイライラしてしまうのです。
もちろん、自分がやろうとしているプレーは「チームのために」と考えて選択しているのですが、それを妨害する味方が自己中心的にやっていたとは限りません。
その人はその人の正解を遂行しようとした中で、たまたま自分の選択とかち合わなかっただけなのかもしれません。

明確なコンセプトのあるチームであれば正解が存在するケースもあると思いますが、我々のカテゴリーではそういうチームはあまりないので、多くの場合、正解は存在しないはずなのに、自分と違う考えを持つ他者に苛立ったり、発言力のある人間の意見が正解として扱われたりします。
これはピッチの中に限った話ではなく、実社会でもよくあることです。

これらを全て悪とするつもりはありません。
組織に属する全員の意見をいちいち擦り合わせられることばかりではないでしょう。
発言力のある人間、リーダーの意見を正解としたり、多数派の意見を正解とすることは、効率的に組織のパフォーマンスを担保するために必要なことだと思います。

ただ、我々のような草フットサルの世界において、監督やキャプテンという明確なリーダーを置かないケースがほとんどだし、
あまりにもカオスなピッチ内で、無数に存在するプレー選択において、多数派を決定することは不可能。

そのような中で大切なことは明確な正解など存在しないということを理解することであり、味方の意見に耳を傾け、それを受け入れること。
そして、自分の意見を聞いてもらえるだけの説得力(意見の妥当性はもちろん、日常からの言動やパフォーマンスの正当性)を高めていくこと。

フットサルに限ったことではなく、最近の自分は正解を求めすぎていたのではないかと反省。
そんなものは存在しないのだから。