対話

2022.7.8

元内閣総理大臣の安倍晋三氏が参院選の応援演説中に銃で狙撃され死亡するという事件が起こりました。

平和だと思い込んでいたこの国で起こった信じられないニュース、あまりにもショッキングな映像に大きく動揺し、その日は心が沈んでしまって何も手につかないような状態に陥ってしまいました。

さらに悲しかったのはそんな出来事が起こった日に安倍さんを否定する声がたくさん見られたこと。

「亡くなったからと言って過去の過ちが消えるわけではない」

「因果応報・自業自得だ」

「英雄扱いするのはどうかと思う」

「因果応報・自業自得」以外の意見に対しては間違っていないと思うし、自分は当時の安倍政権に対してこれといった意見すら持てていないので、主張がある人のことはリスペクトします。
こんなときだからこそ情に流されずにしっかりと議論されるべきだという意見も理解できる。

ただ、その主義主張のほとんどがあまりに尖っていて、批判ではなく否定。
そこに対話の余地は感じられません。
このままでは分断しか生まれないと感じました。

こんなことを堂々と言うのも恥ずかしい年齢になってきましたが、政治のことはあまりよくわかりません。
しかし、今日本が極めて厳しい状態にあることは何となく理解していますし、何かを変えていかなければならないのだろうということはわかります。

変革が求められる今、我々に必要なことは対話なんじゃないかなと思います。
対話なき変革には暴力が伴うから。


まずは学ばなければならないし、自分の意見を持たなきゃいけない。
その上で自分と違う意見を持つ人の声に耳を傾けること。
対話とは相手を言い負かすことではありませんから、互いに意見や価値観を認め合うことが前提で、そこに尖った言葉は必要ありません。
勝ち負けはないし、相手の意見を聞いて自分の意見が変わってもいいし、変わらなくてもいい。
結果的に自分の意見が通らなかった場合でも、一度相手の立場に立ってみることで、納得感はかなり違ってくると思うのです。

社会を変えるために何かしようとか、政治家になろうとか全く思わないですが、今回の悲しい事件に触れ、様々な意見に目を通す中で、人とコミュニケーションを取ることに積極的ではない自分を改めるべきだと思いました。
また、他者を認めるには心の余裕が必要で、僕はスポーツを通して身近な方々の心と身体の健康に貢献できるはずだし、それが社会の中での役割なんだと感じました。

ご冥福をお祈り致します。