劣等生

物心ついた頃から徒競走は大体ビリだった。
逆上がりは今でもできないし、マット運動も前転以外できない。
バッティングセンターで前に出すぎてデッドボールを喰らったことがあるし、30年間やってるサッカーでもリフティング100回はできないことの方が多い。
勉強だけはできたけど、それも高校で進学校に行ったら一年生の一学期で置いていかれた。
大人になった今でも要領よく生きられないし、仕事の効率も悪い。
初対面の人と1対1で話すのムズすぎるし、知らない人に挨拶とかもできればしたくない。
メンタルも弱くて、いつも不安だし、よく落ち込む。

センス系の人ってこういう僕みたいな人が多いイメージ。
他に何もできないんだけど、あるひとつの分野で飛びぬけた才能を持ってるみたいな。
でも、僕の場合はそれも違う。
感覚も鈍くて、妻には「五感全部死んでる」って言われている。

「筋金入りの劣等生」

これが僕の自己評価です。
あんま努力しなくても平均点とれるぐらいの能力があればよかったのになーって思うことは多々ありますが、「これはこれで逆に楽なのかもな」と感じることもあります。

歳を重ねるにつれ、「この人自分の立ち位置めっちゃ気にしてるやん」と感じる機会が増えてきました。
周囲と自分を比較した際の自分の立ち位置や組織内での序列を気にして生きている人が身のまわりに増えていることに気付いたのです。

当然っちゃ当然。
仕事だったら、競合との争いがあったり、場合によっては出世争いなんかもあるのでしょう。
スポーツなんて、他人より優れているかどうかを競うものなので、他人のことが気になるのは当たり前。

しかし、「相手」ばかりを見て、意識するあまり、自分を高めることよりも相手を下げることにパワーを使ってる人が多い印象。
僕は自他ともに認める陰口マンなので、誰かが人の悪口を言っていてもそんなに気にならないし、誰しも愚痴のひとつやふたつあるでしょう。
けど、競合やライバルのことを悪く言うのは印象悪く感じちゃうんですよね。
「たしかにそうかもしれないけど、自分がもっと頑張れば?」って。

これが自分に全く当てはまらないわけではありませんが、ずっと劣等生として生きてきた分、周りより劣っていることに良くも悪くも慣れてしまっていて、誰かを落とすようなことを言う必要もない。

周りと戦う前に、まず昨日の自分と戦うこと

というメンタリティに関しては、周りの方々より自然と持てているのかなと思うようになりました。
これは自慢でも何でもなく、周りと戦うより、昨日の自分と戦う方が圧倒的に勝てる確率が高かっただけの話。
劣等生が自尊心を保つために無意識に身につけた処世術だったんだと思います。

スポーツやってたら目の前の相手には勝ちたいし、上位にいたい。
仕事、社会においても周りから認められる存在でありたいという気持ちはもちろんあるけど、そのために誰かの印象を落としに行くことに力を注ぐような人生は歩みたくないなと思っています。

劣等生としての生き方が、自分の望む生き方とマッチしていたことが唯一の救いだと思います。

ライバルは常に昨日の自分。
超えていこう。