ハングリーであるべきか

自分に一番足りないものは何か。
と問われれば、僕は迷うことなく「ハングリー精神」と答えます。

よく日本と世界のサッカーを語る上で話題になりますが、発展途上国で育った選手はサッカーで成功して家族を助けたいという強い想いがあってハングリーだと言われます。
対して、裕福で多くを与えられて育った日本人は勝負に拘る気持ちが弱いとされてきました。

僕はそんな日本人の中でもハングリー精神の乏しい人間だと思います。
裕福だったわけではありませんが、やりたいことは大体やらせてもらいましたし、サッカーにしても勉強にしても、それ以外のことにしても、自己実現のための投資には自分が望んだ100%の援助をしてもらったと思いますので、どこか与えられることが当たり前になってしまっているんじゃないかなとも思います。

しかし、「ハングリーでないこと=悪」と定義するつもりはなくて、些細な成功を喜び、その幸せを嚙み締められるという意味では、自分は人より優れているのではないかと感じています。
もしかしたら、それは「もっともっと」というハングリーなメンタリティでは得難いものなのかもしれません。

とはいえ、スポーツであったり、会社経営であったり、勝負の世界に身を置いてしまっているので、この性格がマイナスに働くことの方が多いのも事実。

求めた結果を得るために自分が頑張るだけでいいのなら割とできると思いますが、そのために誰かに迷惑をかけることを厭わなかったり、なりふり構わず動いたり、自身の利益を最優先する言動をしたり、嫌われ役になったりすることができないのです。

言葉を選ばずに言えば、僕はそういう振る舞いをするヤツが嫌い。
そうなりたくないからハングリーな生き方ができないという部分もあるのかもしれません。
ただ、残念ながら世の中で成功するのは僕の苦手な人たち。
嫌いだと思う一方で、見え方よりも結果を優先できる彼らの生き方に対し、強いコンプレックスを抱えています。

「ハングリー精神をいかに養うか」という問いに対して、自分はまだ明確な答えを見出せていません。
ハングリー精神が人の育ちによって、または先天的な性格によって決まるとしたら、それを養うことは困難です。
しかし、心の持ちようであったり、発する言葉に意識を向けることで好転させられる余白もまだある気がしていて、そういう努力もしてみるのですが、らしくない自分でいることの不快感は大きく、なかなか長続きしないのが現状です。

苦しくともコンフォートゾーンの外に出続けることも必要。
一方で「足るを知る」ことで得られる幸せもある。
どちらかに振るのではなく、自分の人生をより豊かにするために、これらをバランスよく選択していく作業が大事なんじゃないかと感じます。

もし、今後僕の振る舞いがいつもより自分勝手に見えたら、「あ、コイツ戦ってるな」と温かい目で見守っていただけると幸いです。

ちょっと暗めのブログになってしまったので(なりがち)
最後に最近食べた美味しいもの。

にく福 さんのホルモン
花紋 さんの醤油ラーメン
鯛屋旅館 さんのすき焼き(じーじ、ご馳走様でした。)

こっちのハングリーだけは人一倍強いんだけどなぁ。。

僕がこのようなことを考えるキッカケになったYouTubeの動画です。
この話題以外の部分も非常に興味深い内容なので、ぜひご覧下さい。