死生観

次男を保育園に送り届けてから出勤するのが毎朝のルーティン。
家から保育園まで車で15分弱かかるので、色んな話をします。
ゲームの話だったり、テレビやYouTubeの話、どっちがたくさん郵便ポストを見つけられるかゲームだったり、他愛もないことがほとんど。

しかし、先日こんなやり取りがありました。

僕「大きくなったら誰と結婚するのー?」
(前日、長男が〇〇ちゃんと結婚するみたいな話をしていたので・・笑)

次男「誰とも結婚しやーん」

僕「え、でも結婚せな家族作れやんでー」

次男「じゃあ、お母さんと結婚する!」

と、ここまでは良かったんですが、そこからだんだん様子がおかしくなってきて・・

次男「でも、お母さんもおばちゃんになっちゃうんやろ・・」ってシュンとし始めて、
(現時点でおばちゃんやろなんて口が裂けても言えません)

僕「まぁ、いつかはそうなるかもなぁ。みんなおじちゃん、おばちゃんになって、おじいちゃん、おばあちゃんになってくからなぁ~」

次男「それで最後は死んじゃうんやろ」

って帽子で顔を隠して泣き始めてしまいました。

後で話を聞くと、話しているうちに自分が死んでしまうことが怖くなって泣いてしまったそう。
特別何かを教えたこともなければ、身近な人が老いていって亡くなるまでのプロセスを見た経験もないのに、ちゃんと理解していることにすごく驚いて、突然のことにどうしていいのかわからなくなってしまいました。

咄嗟に「そんなんまだまだ先の話やし、死んでしまった後もみんなまた天国で会えるんやで」って、その場凌ぎの慰めのようなことを言ってしまった気がします。

でも、そんなことはわからない。
明日生きている保証なんて誰にもないのに、安易なことを言ってしまったと後悔しています。

人はいつか死ぬ。必ず。
それは今日かもしれないし、ずっと先のことかもしれない。
自分が死ぬかもしれないし、目の前の大切な人が突然いなくなるかもしれない。
だからこそ、できるだけ後悔なく、そのときを迎えられるように毎日を過ごすべき。

それが自分の死生観であり、子どもたちに伝えたいことでもあるのに、それが出てこなかった。
もっとちゃんと話してあげなきゃいけなかったと後悔しています。
ただ、今思えば、遠い先のこととして死を捉えた上で、それを怖がっている彼に「今日死ぬかもしれない」なんて言うのは酷やから、これで良かったのかなぁとも思いますし、難しいところですね。

死生観も含め、子どもたちに伝えたい大切なことは、妻とも相談して何をどう伝えるべきか話しておく必要があるなと感じました。

普段口を開けばゲームしたいとかお菓子食べたいしか言わないくせに、いきなりこんなこと言ってくるから本当に驚かされます。
君たちが毎日を笑って過ごせるよう、父ちゃん母ちゃん頑張るね。