2008年 春。
当時、自分が所属していたFリーグの「デウソン神戸」にとんでもない大卒ルーキーが加入しました。
西谷 良介
サッカーの世界で高校・大学ともに全国大会に出て活躍し、大学ではチームでも、関西選抜でもキャプテンを務め、全日本大学選抜にも選出されたエリート。
全く関わりのない僕でも名前を知っているような存在でした。
しかし、プロから声がかかることはなく、フットサルの世界へ。
詳しいことは知らないけど、ずっとプロの練習参加にも呼ばれていたのに、大学4年時にチームで突然スーパーサブ的な使われ方をして出場時間が減ってしまったという話を第三者から聞いたことがあります。
おそらく、本人もずっと抱き続けてきた夢に対して不完全燃焼のまま、仕方なくフットサルに来た部分もあったのではないでしょうか。
そんなスーパールーキーは、不慣れな競技ではあったものの一年目から定位置を確保すると、Fリーグ3位入賞、全日本選手権3位入賞に貢献。
周囲の期待に応えるデビューシーズンを過ごしました。
しかし、2009年の春、彼は悩んでいました。
このままフットサルを続けるべきか
サッカーの世界に戻るべきか(具体的にはJFLクラブのセレクションを受ける話)
岐路に立たされていたのです。
当時、24歳になる年で、サッカーの世界に戻るなら年齢的には恐らくラストチャンス。
フットサルを続けていけば、ある程度やっていける感覚はあったと思いますが、幼い頃からずっとJリーガーを夢見てきて、一度はそこに手の届きそうな経験をした選手ですから、そう簡単にはサッカーを諦められなかったのでしょう。
周りは「もう一度サッカーにチャレンジして、ダメならフットサルに戻ればいいやん」と言いましたが、とても真面目で真摯に向き合う人間なので、彼自身がそれを許しませんでした。
フットサルに命をかけた仲間たちと一年共に戦った自分がその選択はできないと。
同い年で、ちょうど僕もクラブを離れるかどうかを悩んでいたところだったので、深夜にクラブハウスの外のウッドデッキで互いの悩みを話し合っていたのをよく覚えています。
(ちなみに、その後僕が松阪に来るご縁を繋いでくれたのも彼と田中俊則でした。)
あれから12年。
彼はフットサル日本代表として、今夜初めてワールドカップの舞台に立ちます。
「フットサルを続けるなら絶対代表に入ってワールドカップに出る」と言っていた彼があのときの選択を【正解】にする瞬間が今夜訪れます。
あのポーアイ(クラブハウスがあったポートアイランドの通称)での夜を共にし、彼の葛藤に触れていた者の一人として、僕は今日、彼の勇姿を見て何を思うのでしょうか。
とにかく、どうか怪我なく、最後の試合を終えるブザーが鳴るまで悔いなく楽しんできてほしい。
遠く日本からテレビの前で応援しています。
皆さんも是非、フットサル日本代表を応援しましょう!
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