誰のために

今週末から2021シーズンのJリーグが開幕する中、かなり今更感がありますが、昨年末に開催された「2020 Jリーグアウォーズ」において私の友人である武部陽介氏がJリーグ最優秀副審賞を受賞されました。

陽介とは履正社学園コミュニティ・スポーツ専門学校(現・履正社医療スポーツ専門学校)サッカーコースの同級生で、当時共に審判活動を行ってきた仲間であり、ライバル視していた存在でもありました。

陽介の話をする前に少しだけ自分のことをお話ししたいと思います。

高校時代、「サッカーでメシを食う」ということを決めたものの、具体的に何を目指すのか、何に取り組めばいいのかわからなかった僕が最初に出会ったサッカーとの新しい関わり方が審判でした。

すぐに資格を取得し、3年生になる前に3級に昇級。
以降は重要な公式戦を任せていただいたり、アセッサーの方についていただいて良い指導を受けられる環境を与えていただいたり、愛媛県の審判委員会の皆様のおかげでかなり順調に成長できたと思います。

大阪の専門学校に進学してからも関西学生リーグを中心に活動を行ってきましたが、担当する試合のカテゴリーが上がり、ゲーム強度が高くなったからか、この頃から上手くコントロールできない試合が増えて、自信を失っていました。
また、愛媛とは違って同世代の審判員も多く、彼らに負けたくないという想いとは裏腹に自分のパフォーマンスが上がらないジレンマを抱えていました。

結局、僕はやりがいも楽しみも感じられなくなり、逃げるように審判活動から距離を置くようになりました。

対して陽介は卒業後も活動を続け、2級→1級→Jリーグ担当(J2副審→J1副審)→国際審判と着実にステップアップを重ね、今回遂にJリーグ最優秀副審賞を受賞するに至りました。

この差は一体何だったのでしょうか?

専門学校入学時点での経験や実績は僕の方が豊富だったと思いますし、在学中も陽介に負けないくらい手を抜かずに取り組んできた自負があります。
それでも、最終的には決定的な差がついてしまいました。

DAZNで陽介の姿を見かけたり、彼の活躍を見るたび、嬉しく誇らしい反面、
「何でこんな差がついちゃったのかな?」
「もう少し我慢して続ければ俺もここまでいけたのかな?」という疑問が頭に浮かんできます。

とはいえ、もう終わったことなので、そこまで真剣に考えたり向き合ったりすることもなく、その答えは見つからないままでした。
しかし、先日ふと気になって読んでみた記事の中に答えが存在していました。

【手記】“日本一嫌われた審判”家本政明が綴る半生 ゼロックス杯の悲劇「僕は評価と規則の奴隷」だった – Jリーグ – Number Web – ナンバー (bunshun.jp)

Jリーグで活躍する審判員、家本政明さんの手記です。(皆さんも是非読んでみて下さい!!)
家本さんも審判員としてのどん底を経験され、そのときのご自身を振り返って「僕は評価と競技規則の奴隷だった」と語られています。

これを読んではっとしました。
まさに15年前の僕そのものです。

競技規則の正しい適用(間違うとかなり減点されるポイント)、アセッサーからの評価、他の審判員との優劣関係。
そんなことばかりが気になって、目の前の選手のことなんて全く見てなかった。
真実は本人にしかわかりませんが、きっと陽介はそうじゃなかったんだと思います。
彼には審判を志す強い動機がありましたから。

陽介は岡山県の水島工業高校出身。
長年サッカーに関わる方ならピンとくる方もいらっしゃるかもしれません。
19年前「世紀の大誤審」と呼ばれた試合の当事者となった高校だからです。

2002年
全国高校サッカー選手権 岡山県大会 決勝「水島工業 vs 作陽」

作陽のミドルシュートが決まり、延長Vゴールで作陽の勝利が決まったかのように見えた。
しかし、ボールがゴール奥の支柱に当たってピッチ内に跳ね返ってきたことで、水島工業のGKはシュートが決まらなかったと勘違いし、プレーを続行。
審判もノーゴールと判定した。
結果的にPK戦の末、水島工業が勝利するも、誤審で全国大会出場を決めた水島工業にはバッシングや苦情の電話が殺到した。

陽介は当時の水島工業サッカー部員。
学校や部へのバッシングが殺到し、夢にまで見た全国大会を掴んだにも関わらず、そのピッチに立つことなくサッカーを辞めてしまった選手たちを近くで見てきて、「もう誰にもこんな悲しい想いをさせたくない」と感じ、審判の道を志したと当時僕に語ってくれました。

そう。
陽介は審判員になった時点で「選手のために」という最も基本的で重要なマインドを持っていたのです。
評価に囚われて選手を見ていなかった僕との差は決定的で、どちらが良い審判員かは明白です。
そして、おそらく今もそのマインドを大事にし続けているからこそ、日本でトップレフェリーとして評価されているのだと思います。

これは審判だけに限ったことではなく、仕事にも同じことが言えると思っています。
評価や収入も大事だけど、それが先になってはならないのだと思います。
「誰のために」、「何のために」やっているのか。
どんな立場に立っても常に見失わないようにしていきたいと感じました。

素晴らしい気づきを与えてくれた陽介、家本さんに感謝です。
今後のご活躍も陰ながら応援しております。

最後に。
僕は審判員として大成することはありませんでしたが、若い頃から審判活動に取り組んだことはサッカー人として明確にプラスでした。
審判資格は中学生から取得できます。
日本にはユース審判という素晴らしい制度があり、中高生のうちはかなり安く資格を取得できるので、是非たくさんの方にチャレンジしてもらいたいと思います。

三重県でも津工業高校のサッカー部はユース審判制度を活用し、サッカー部員が資格を取得。
審判員として県リーグの笛を吹く生徒さんもいらっしゃるようで、SNSでその活動を発信されています。
素晴らしい取り組みだと思います。
僕も高校時代に監督の勧め、サポートがなければ審判員にはなっていなかったと思います。
今後、若い選手が将来を見据えて審判や指導を経験することをサポートできるようなチームが増えればいいなと思います。

陽介、改めて受賞おめでとう!