ZISO TALK #2「誰のためにフットボールするのか?」

前回に引き続き、ZISO TALKで行われたディスカッションをもとにブログを書いていこうと思います。

今回のテーマは「誰のためにフットボールするのか?

誰のためにフットボールするのか?
自分、家族、友人、お世話になった人、クラブ、チームメイト、サポーターなど様々な対象が存在すると思いますが、大別すると自分 or 他者 ということになるのではないかと考えます。

ZISO TALKの中で印象に残ったのは

・誰かに恩返ししたい、誰かのためにプレーしたい、そう思うのも結局自分で、全てが「自分のため」に帰結する。

・ファン、サポーターのためにプレーすることで、自分のフットボールが自分だけのものではなくなる感覚があった。

・「誰かのために」の解像度が低い。大半の選手が所縁のないクラブからオファーをもらって所属させてもらっている状態で、ファン、サポーターのため、地域のためということがイメージしづらい。
→育ててもらった地元クラブでプレーする選手はそのイメージがしやすい。Jクラブが各地に増え、地元クラブでプレーする選手が増えているのは素晴らしいこと。

・自分のためにやっていたプレーが結果的に誰かに届いていることもある。

誰もが最初は100%自分のためにプレーすると思います。
それが大人になるにつれて、支えてくれる両親のためとか、試合に出れない仲間のためとか、置かれた状況や自分と関わる人の影響を受けて、次第に割合が変わっていくものではないでしょうか。

僕の場合はピッチ内のことだけで言えば、めちゃくちゃ自己中心的な感情があります。
試合に勝っても自分が出てないと喜べないし、出ていても自分が満足できるパフォーマンスができなかったり、得点がとれなかったりするとあまり嬉しくありません。
逆に試合に負けても、自分のパフォーマンスさえ良ければ、それなりに満足して帰ることができます。
(もちろん、試合に負けている以上、完全に満足できるわけではないですが。)

これはサッカーを始めた頃から今もずっと変わらないもの。
唯一、高校時代だけは自分が出てなくても、チームと感情を共有することができましたが、これは高校サッカーという特別な世界観もあっただろうし、試合に出ている選手とのレベルが離れすぎてピッチに立つイメージが全く持てなかったこと、チームメイトが全員良いヤツすぎたことなど、様々な要因があってそうなれていただけだと感じています。

ただ、そうは言っても、自分の能力だけで活躍できるような選手じゃないことは自分が一番わかっているので、チームメイトの助けを借りないといけないし、そのためには自分もチームメイトを助ける働きをしたり、チームのためにプレーする必要があります。

めちゃくちゃ言い方は悪いですが、語弊を恐れずに言えば、「自分が活躍するためにチームを利用している」という感覚です。
自分のできる限りチームのために働くけど、最後おいしいボールちょうだいねって感じ。
相当ゲスいタイプです。

一方で、ピッチを離れたところでは、「自分のため」より「誰かのため」の割合がかなり高くなっている気がしています。

では、誰のためにやっているのかという話ですが、そもそも僕がプレーしているキッカケは、3年前に多くの選手が退団し、セグンドに残ったメンバーだけで試合を行うことが難しくなってしまったから。
せっかくこのクラブを選んで来てくれている子たちが路頭に迷うようなことにはしたくなかったし、その中には僕が松阪に来たときから本当にお世話になった方々のご子息もいたので、そういう方々への恩返しの意味も込めて、30歳を超えてからの現役復帰となりました。
なので、まずは「クラブのため」、「お世話になった人たちのため」というふたつが前提にあります。

そういう状況でプレーを始めた中で、
ヘタクソな自分が少しでも高いレベルに行くことで、お世話になっているお客様に努力や成長の価値をリアルに感じてもらえるんじゃないか?とか、だんだん物事がわかってくるようになった息子たちに挑戦することの意義を伝えたいとか、自分の中でプレーすることの「理念」めいたものが色々と生まれてきました。

30代も半ばに差し掛かって、練習で自分より何歳も若いヤツから怒られることはそれなりにストレスだし、(僕は人から怒られることが一番嫌いです。)
僕のレベルだと練習以外でのトレーニングも必要で、体力、時間、金銭と様々なものを投じないといけないにも関わらず、大したリターン(多少なりとも稼げるとか、社会的にステータスがあるとか)が期待できないようなこと、自分のためだけなら続けられないです。
そのような打算的なこと全てを吹き飛ばす魔力を持つ「ゴール」というものも年々獲れなくなってきますしね。

今現在は現役復帰したときとは少なからず状況も変わって、プレーヤーとして必要とされている状況ではない中で、本当に毎年毎年続けるかどうかはすごく悩むし、今シーズンもシーズン始動のミーティング前夜までめちゃくちゃ悩んで、今も半信半疑でプレーしているような状態です。

「誰かのために」と言っても、別に頼まれたわけじゃないので、勝手に背負っているだけなのですが、その勝手な責任感のようなものがギリギリのところで自分を支えてくれているという感覚は最近強く感じているところです。

色々と自分の心理を分析してみましたが、最後はやっぱりZISO TALKの冒頭で山田 大記 選手が発した言葉に集約されます。

誰かのためにプレーしたいのも結局自分

僕は自分のためにプレーしています。
しかし、その向こうに「誰か」を感じられないと多分折れてしまうので、もし宜しければ、今シーズンも応援よろしくお願いします。